2 第五師団第一建築輸卒隊とは

 陸軍工兵少尉の渡部隊長は,1903年(明治36年)3月21日生れ,広島市内の出身である。広島県工業学校から神戸高等工業学校(現神戸大学)を卒業した。京都で建築業に従事し,結婚し,1936年(昭和11年)に長男が誕生した。1937年(昭和12年)7月7日,盧溝橋事件を契機に日中は全面戦争に突入した。8月には第二次上海事変へと拡大していった。第五師団第一建築輸卒隊に動員の下令があったのは,同年10月12日である。第5師団司令部の所在地は,広島である。

 10月13日から編成が始まり,宿営地は白島九軒町と東白島町(広島城側)と決定した。14日午後1時,渡部隊長は工兵少尉として応召入隊した。時に34歳であった。28日宇品港から泰安丸に乗船した。

 同28日に,部隊編成表に見られる部隊総人数は,320名である。工兵とは,「工兵は戦場における技術兵として,築城・交通・通信・ 架橋・坑道・爆破・測量等の技術的作業に従事し,他兵科の戦闘動作を助けるとともに,また自らも 戦闘する兵科である。」

 歩兵とは,「歩兵は通常徒歩で火戦・白兵戦を戦闘の手段とする戦闘兵種である」(いずれも 事典『昭和戦前期の日本』百瀬孝著・吉川弘文館より引用)

 渡部部隊は,前戦で戦闘をする部隊ではないが,前線部隊より遅れて入り,占領した地域の 建築・架橋などを担当する部隊であった。しかし,時に敗残兵などと戦闘する場面もこの『陣中日誌』 に記載がある。

 特に第二次上海事変以後,南京攻略戦から杭州で滞在中の作業でどのような役割を渡部部隊が 果たしていったのかを,分析・解明していきたい。

 この報告は,日中戦争の中の全体像ではなく,あくまで「第五師団第一建築輸卒隊」の役割を 『陣中日誌』から見ていくことである。

第五師団第一建築輸卒隊編成表
隊長陸軍工兵少尉渡部
本部 書記工兵伍長小林
本部 炊事工兵伍長岡田
本部 主計主計伍長吉川
本部 衛生衛生上等兵吉村
本部 兵工兵上等兵雨田
第1分隊長工兵伍長山本
 第1班長工兵上等兵近江
 第2班長歩兵上等兵木本
 第3班長歩兵上等兵北村
 第4班長歩兵上等兵天野
第2分隊長工兵伍長佐藤
 第1班長工兵上等兵前濱
 第2班長歩兵上等兵楠原
 第3班長歩兵上等兵佐々木
 第4班長歩兵上等兵近藤
第3分隊長工兵伍長牧本
 第1班長工兵上等兵谷川
 第2班長歩兵上等兵山田
 第3班長工兵上等兵朝池
 第4班長歩兵上等兵久保



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